人が何かを書きたくなるとき
日付で区切れる事柄は、使って3年目になるほぼ日手帳に書いている。
社会人になってから初めてだが、まあそこそこ日々の気づきやいろんなことを書けている。忙しくてとても毎日は書けないが。
1週間の出来事を、のんびりコーヒーを飲みながら書くことに一時期はまっていた。たぶんこれからも私のひそかな週末の楽しみであるだろう。
何故人は言葉にしたがるのだろう、言葉にしたい時とはどんな時だろう、このブログは何故自分の手によって作られたのだろう?
なんて考えてみると、どういう瞬間に言葉は生まれるのかという問いの答えにたどりつく。
気持ちが動いたときだ。
喜怒哀楽、その4つには分類できないようなありとあらゆる感情。
それらが動いた時に、言葉は紡がれる、きっとそう思う。
ほぼ日手帳は日々自分が感じたことを、仕事のこと、鑑賞した作品のこと、会話の中で感じたことをダイジェストにしてまとめるような、そんな形をとっている。
このブログでは、もっと自発的に、気持ちが動いた時にふと手帳には書ききれないようなことを書こうと思う。
本当に徒然なるままに。
言葉を紡ぐのは楽しい。自分の精神的な変化を第三者目線で見せる取っ掛かりを作り出すからだ。
どう自分の精神が移っていったかを見ることができる。
ほぼ日手帳オリジナルには日々の気持ち、日記に近いものを書き
いずれ買うほぼ日手帳weeksには仕事の事だけを書き
このブログには、ふと思いついた随筆のようなことを書こう。
いま決めた。