慣れること=疑問を感じなくなること?
「思考が停止している」
時々、色んな人に言われた言葉がふと脳内に浮かぶ時がある。リフレインする。
とりたてて特別な感情(好意なり嫌悪なり何なり)を抱いている人に限らず、色んな人に言われた言葉が浮かぶ。
言葉自体も、叱責、賞賛、その他取り留めのないことやら、ジャンルを問わず浮かぶ。
自分が言い放った言葉は記憶に残らず、逆に他人から受け取った言葉はなんであり記憶に残る。
つい4ヶ月ぐらい前に会社の先輩に言われた言葉で、時々思い出される言葉「思考が停止している」。
ふられた仕事に対して、自分では判断がつかずに「なんとなく」仕事をした結果、私に先輩が言い放った言葉。
どこまでも突き詰めて考える。どこまでも現象の理由を探る。何故?と疑問を持つ。そんな先輩。
私は判断する時に疑問を感じなかった。「きっとそういうことになっている、そういうルールがあるんだろう。そう従っておけばまぁ問題は無かろう。」と思って仕事をした。
しかしその時の自分が「思考が停止している」状態とまでは思っていなかった。
恐らく無意識の内に面倒ごとを避けようとしていたのだろう。
先輩の考え方全てが絶対だとは思わないが、「ああそういう人もいるのか」と感じた瞬間だった。まさに職人気質。
私は妥協が許されない職業は人の命に携わる人と、ものづくりに携わる人たちだけだと(勝手に)思っていた。
ただ本来はどの職業においても共通で、賃金と等価交換されるべきは、妥協のないスタンスなのかもしれない。
最初は疑問を感じていたことも、質問をするとより面倒なことになりかねないから感じなくなっていくのかもしれない。
それが「慣れる」ってことなのかもしれない。と最近感じた。
そうなっていくのは怖いことだと思うから、これからも度々あの言葉を脳内に浮かべようと思う。