thinkLog.

とある社会人の思考ログ。個人的な冒険の書。

女子高生だった自分は今もどこかで生きているのか

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高校生の時に更新していたブログに、グーグルクロームのブックマークからたどり着いた。
読み返してみる。若い。いかにも女子高生ですという文体だ。2009年2月に更新された文章が並ぶ画面のスクリーンショットを撮ってみた。
確かにこれは高校2年の自分が書いた文章だ。この文章も書いた記憶はある。でも、現在の自分自身と比較すると全くの別人だ。この文章は自分の思ったことをそのまま吐露しただけだが、今の自分が思ったことをTwitterに吐露してもこのような文章にはならない。

周りの人が使う言葉に影響を受け、コミュニケーションをとることを積み重ねた末に「自分の言葉」が現れる。誰かの言葉が伝播して「自分の言葉」になり、それがまた誰かの言葉になる。

時間の経過と共にいかにも女子高生らしい言葉を使わなくなったのは何故か。
会話をする人が変化した。誰とコミュニケーションするか、その相手が女子高生から大学生、社会人となっていくうちに変化し、往々にして言葉も変化したのか。

当たり前と言えば非常に当たり前ではある。くだけた表現ではなく、きれいに整って誰が聞いても不愉快に思わない言葉を求められる機会が増え、それに応えるようにして、今使う言葉にたどり着いた。


当時のブログには「何が面白くて」「何が面倒で」ということがひたすら女子高生としての言葉で書かれている。
なんだかんだ女子高生をやっていたんだなあとしみじみ思う。

今書いてる文章も、50代になった自分が読めたらなんて思うだろう。
そもそもはてなブログは老舗電脳日記として存在しているだろうか。
アナログに未来に向けた自分に手紙を書くのと、インターネット上に文章を残しておくのでは、どちらが残る確率が高いだろうか。

50歳の自分があんまり想像できないし、そもそも50歳になる頃の30年後の世界も想像できない。

ただ一つ願うのは死ぬまでに宇宙に行くことぐらいだ。