まずは書き出してみることの大切さ
文章化することの大切さを身をもって知った出来事があった。
突発的に資料作成を依頼された。
以前の自分であれば、とりあえずわからないけどとにかくパワポで何か形を作らねばと焦って手を動かしていただろう。今思うと恐ろしい。
ただ頭でそういうやり方はあんまりすべきではない、と思っていても突発的に依頼されると突発的に反応してしまうものだとも思う。
自分がもし依頼することがあれば、どういう目的でどういう構成にした方がいいかも添えて依頼すべきだなと感じた。
まず依頼されて私がとった行動は状況把握だった。まず自分自身が何故資料作成しなくてはいけなくなったかを十分に把握していなかったため、目的(=何故自分が作らねばならないのか)の確認をした。経緯や背景を確認することになった。
次にやったことは構成をテキストで書き出してみた。背景と詳細と他社への依頼事項。これが構成として合っているのかどうかも含めてわからなかったが、一旦仮でそのまま進めた。
構成を決めさえできれば、あとは詳細情報を詰め込むだけだった。既に出ていた情報を得てかき集めるだけだったのでそこまで時間はかからない。
この一連の書き出し作業を行うのに1時間ほどくらいかかった気がする。すでに情報自体は散らばっていて、それを集約するような作業だった。恐らく1番頭を使ったのは構成決めの部分だろう。
考えるにあたって全く手がかりがないわけでもなく、目的に沿った構成にすればよかったので結局のところ目的意識を持つことの重要性を再認識した。
なにをし始めるにも、メモって大事だ。今までメモの用途は備忘録だった。が、最近になってテキストで書き出す行為は頭の中を整理して、次のアクションを導き出すのに必要不可欠な行為であることがわかった。
思い出すという名の魔法
思い出したくても思い出せないこと、思い出したくないこと。
思い出せていないだけで、何かとても大切なことを自分は忘れているのではないか?もしそうだとしたら自分は一体何を忘れている?
ーーそう考えて勝手に怖くなってしまった。それが私が森見登美彦の「熱帯」を読み終えて感じた率直な感想だ。
同じ感想を抱いたことがある。新海誠監督の映画「君の名は。」を観た時だ。自分自身の記憶と対峙し、思い出すという行為を繰り返しながらストーリーが展開していく様が似ていると思った。
誰も最後まで読んだことのないという奇本「熱帯」を巡り、途中まで読んだ人々が集まり各々の記憶を遡り少しずつ「熱帯」に近づきながら物語は進む。
何故思い出せないのか、最後まで読んだ人がいないというのはどういう意味なのか、最後に待ち受ける顛末は何なのかーーそうか、先が気になってページをめくる手が止まらないとはこういう体験のことかと腑に落ちながら、贅沢な読書体験を味わうことができた。それは同時にこの物語の世界に没入し、登場人物たちと一緒になって「熱帯」の謎を追いかけた体験を指す。
読了時には旅を終えた気持ちになった。
森野登美彦著の「熱帯」の中には佐山尚一という人物による謎の著書「熱帯」があり、またその中には実在する奇本「千一夜物語」が存在する。物語の中に物語がありその先にはまた物語がある。では今こうして森見登美彦の熱帯を読んでいる自分自身も物語の中にいるのではないか。
作中に出てくる以下の言葉に私はすっかり納得してしまった。
「まだ終わっていない物語を人生と呼んでいるだけなのだ」
だから読み終えた私は今、何か大切なことを忘れているのではないかと怖くなったのである。
責任ってなんだ?
私は今までの人生で恐らく、責任を取るという行為をしたことがない。
会社でも役職についているわけでもなく、自分が何か誤ちを犯したとしても、恐らく自分が責任を取ることは求められない気がする。
責任って何だ。それをうまく表現できないことが、今までとったことがないということ自体が、なんだかとても世間知らずのように思えてきて、怖くなる。
責任をとる、という行為がどういうことを指すのか、なんとなく理解はしている。例えば「男が付き合ってる女を妊娠させたので責任をとって結婚した」とか。
ここでいうところの責任とは、第三者や関係する当事者が見ても納得する何かを損害を与えてしまった者が損害を与えられた者に差し出すものだろうか。
例えば私が踏切を超えて電車にはねられたら、私の親は責任をとって多大な慰謝料を鉄道会社に払わざるを得ないだろう。やはりここでも誰でも納得できるように金銭を差し出している。
女を妊娠させてしまってとる男の責任とはなんだろう、犠牲に差し出すものは結婚生活という自分1人以外の人生だろうか。そもそも誰かを妊娠させることは損害を与える行為なのか。どの立場からどう見るかによって受け取り方は変わりそうだ。
私が仕事でミスをしたら責任を取るのは私の上司になるが上司は何をして責任をとるだろう。
自分が誰かの親になった時、上司になった時、私は責任が取れる人間になっているだろうか。
まずは自分の人生くらいには自分で責任を取れるようになっていないと話にならないだろう。
何かに不満を持ったら愚痴るのではなくそれの解決策とついでに事業計画書を作ろう
最後に記事を書いてから1年経った。月日は百代の過客にして…
そこまであっという間だったなというわけでもない。
社内で異動をし、環境が変わり、上司が変わり、上司以外の接する人たちの人間関係も変わった。自分なりに前部署で学んだことを今いる部署で生かしているつもりだ。
1年に2回人事評価を受けるが今の部署の評判はそこまで悪くない。むしろいい。よく頑張っているな、自分。いつもお疲れ。
前の記事を読み返してみたら海外の大学院に進学したい、と2017年5月の自分は書いていた。それから海外の大学院に入学するためにはそもそも英語は当たり前のようにできていなければ話にならないことがわかった。そしてその当たり前のようにできることを証明する手段として日本では馴染みのないIELTSという資格が必要で、その資格でスコアを6.5以上取る必要があることがわかった。
ひとまずテストを受験したのが2017年7月である。
試験結果一覧(List of your test results) |
受験番号 (Candidate Number) |
受験日 (Date of exam) |
受験 モジュール (Module) |
受験地 (Location) |
スコア(SCORE) | 証明書発行履歴 (Despatch Record) (通:copy/copies) |
証明書発行 (Issue of Test Report Form) |
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Listening | Reading | Writing | Speaking | Overall | ||||||||
006370 | 2017/07/15 | Academic | Tokyo-2DAY | 4.5 | 4.5 | 3.5 | 5.0 | 4.5 |
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結果がこちら。自分への戒めを込めて掲載する。全体でスコア4.5である。
正直テストを受けた後、あまりにも難しく、心が折れそうになったのを今でもよく覚えている。
あれから11ヶ月経ったが、とりあえずオンライン英会話を12ヶ月、朝起きて30分週4回くらいの頻度で続けてきた。
今から2ヶ月後の2018年8月、2度目のIELTSを受ける。speakingが上がることを期待しつつwritingをどうするかである。
模範解答を覚えるくらい書きなぐるか。
海外とは別で起業に興味を持ち始めた社会人5年目。
会社員という立場が嫌なのでいっそ会社を作りたい。でも特にやりたい事業とかない。どうしよう。これがとても率直な現状である。
ひとまずググってみて出てきた情報を見てみる。
とにかく問題意識・課題意識・不満とかを自分はもっと持つべきだなと。
それを解決する仕組みがお金になる。それを説明するための道具がビジネスプラン・事業計画書なのだと理解。
とにかく前に進み続けよう
東京オリンピックを日本以外のところから覗いていたい
目標を立てようと思う。社会人4年目にしてそうするべきだと感じた。
海外の大学院に進学すること。
そして現地の企業で働く。海外で働く日本人になる。
まだまだ先の長い人生で、目標もなくなんとなく生きるよりかは、
きっと目標のために精神をすり減らしながらも進んだ方が、最終的には自分の人生を悔いなく全うできそうだと思った。社会人4年目にして。
社会人3年目の最後に、転職をして社員数が5,000人を超える会社に入った。
もう会社が一つの国みたいになっていて、希望すれば30年後までずっと働き続けられそうな会社だ。役職につけるかはともかく。
先が見えている。安定している。それはとても良いことのはずだが、それでいいのか?と問いている自分が自分の中にいる。
「本当は自分は海外に住みたいのでは?今の会社でそれは難しいのでは?」という声を無視しないことにした。
目標を立てた。自分に自信を持つことにした。
振り返れば高校時代早稲田大学に行こうと決め、その旨を親に伝えた時、鼻で笑われた。
「もっと下の偏差値の大学をよく探しなよ」と。
2014年3月に浪人も留年もせず、早稲田大学を卒業した。
行く先はわからない。でも自分に自信を持って向かいたい先が決まっているのならば、実現できそうな気がする。
と今年26歳になる人間は思うのだった。
車窓
今まで、誰かの葬儀に3回参列した。
1度目は、2006年7月、祖父の。
2度目は、2012年3月、小中学校の同級生の。
3度目は、2016年8月、大学の先輩の。
祖父は、70歳を超えていた。
同級生は、19歳だった。
先輩は、25歳だった。
平均すると5年の間隔をあけて、誰かとの死別を経験している。
その度に、背筋を伸ばすように促されているように感じる。
もちろん訃報を受けてすぐに背筋が伸びるのではない。
どうしようもないどろどろとした悲しみの中を溺れながら彷徨い、底の方まで行きついてようやく、「自分はまだ生きるしかない」という結論にたどり着く。
自分の意志に関係なく心臓と脳が止まる時が必ず来る。そのタイミングはわからないけれど。
早い人もいれば遅い人もいるし、安らかに止められる人もいれば無理矢理止められる人もいるのだろうけども。
自分はどう止まるのかいつ止まるのか、わからないけれど。
でも必ず止まる。その時は必ず来る。それは遠い未来じゃなくて、来週の水曜日かもしれない。来年の連休中かもしれない。
死という終着点に向かう電車に、無理矢理乗せられているような気分だ。
車窓からはいろんな景色が見える。いい景色も、わるい景色も見える。雨の中を走ることもあれば、晴れの中を走ることもある。
そもそも、それをいい景色と思うかわるい景色と思うかは自分次第だ。
自分の意志ではどうにもできないような地形の中を、電車が走っている。
きっと、電車から飛び降りれば景色を見ることを終わらせられるだろう。
でも、もう2度と一緒に景色を見れない人たちがいると思うと、その人の分も景色を見ておこうと思える。
きっと目を逸らしたい景色も中にはあるのだろうけど、それがずっと続かないのは今まで見てきた景色からわかっている。
いずれ終着点に着くのだ。
見届けたいと思う。電車はとんでもないところを走るかもしれない。その度に電車から飛び降りたくなるかもしれない。
それでも一連の景色をすべて見終えて、どんな気持ちで終着点に着くかはわからないが、見れる景色は、できる経験は、記憶の中に入れておこうと思う。
もう景色を一緒に見れない人たちに自分ができる最大限の礼儀は、それしか浮かばないのだ。